KGUSBの歴史

関西学院大学応援団総部吹奏楽部は1954年(昭和29年)5月に誕生以来,2024年で創部70年となります。

 

戦後、大学スポーツの復興に呼応し応援団活動も活発化する中、音楽を取り入れた立体的で効果的なスタイルへの変身が望まれ、時の応援団長より大学へ吹奏楽部の創設の請願書が提出されました。当時の大石学長はその趣旨に深く賛同し,2ヶ月も経たないうちに設立準備会が組織され部員集めや楽器の調達が始まることとなりました。

当初は楽器を触るのも初めての初心者ばかりで、簡単なマーチが1~2曲できるのが精一杯の状態。しかし、部員の熱意と努力は相当なもので、新入部員も獲得し、また大阪市音楽団から永野慶作氏を音楽顧問に迎え、徐々に吹奏楽部としての体裁と技術を身につけていきました。

昭和30年代後半に差し掛かると、応援中心のブラスバンドという域に満足できず、活動の内容を飛躍的に広げることとなります。シンフォニックバンドとしての編成の充実(オーボエ・バスーン・E♭クラリネット・バスクラリネット等を組み入れる)及び技術の向上を他大学に先んじて取り組んできました。また、アメリカを中心として吹奏楽の新譜情報を得るために、ハーバード大学・ミシガン大学をはじめ、複数の大学と交流をもち、最新の情報を入手。多くの曲を本邦初演してまいりました。

そんな努力が実を結び、1960年代には日本の大学バンドのトップグループに成長することができました。海外遠征も、昭和39年東京オリンピックの最中にカナダ横断演奏旅行を実施。以来韓国・アメリカ・シンガポール・台湾など世界を股にかけた活動を行いました。また,学生吹奏楽連盟の立ち上げ・運営にも積極参加し、1965年(昭和40年)第一回大学バンドフェアを兵庫県宝塚市で開催しています。

 

関西学院大学応援団総部吹奏楽部のモットーは「常にチャレンジャーであれ,フロンティアであれ」ということ。その伝統は60年の歳月を超えて息づいています。


"Mastery for Service"の実践

我々関西学院大学応援団総部吹奏楽部の活動は、文字通り応援団としてのスポーツ応援に始まり、年2回の独自のコンサート(定期演奏会・春のコンサート)、吹奏楽コンクール出場、入学式・卒業式などの学院行事への参加、近隣の中高生や一般市民を招いてのコンサート、企業からの依頼演奏、同窓会のイベント出演など多岐にわたります。

 

その活動の基本精神は、常に「学院生のため」「同窓のため」「音楽ファンのため」「世の中のため」に最上のパフォーマンスを提供することであり、そのための高い技術力の獲得・維持が部員個々人に求められています。そのために、部員は相互に協力し、高めあいながら練習に励んでいます。

 

まさに関西学院のスクールモットー「Mastery for Service」の実践です。


「学生主体」という基軸

関西学院大学応援団総部吹奏楽部では、常に「学生主体」ということを意識します。学生のクラブだから当たり前と言えば当たり前ですが、「クラブを取り巻く様々な環境に流されるな」という戒めです。

クラブを取り巻く環境とは、学校関係はもちろんのこと、音楽監督・講師陣・後援会などの事で、様々な方向からいろんな意見や要望をもたらしてくれます。それらを総合的に判断し自分達の主体性において決断・実行すべしというのが私たちの基本的な考えです。

 

ともすると指導者のアイデア・意向にそのまま準じたり、言われるがままのメニューをこなすだけになったり、OBの皆様や先生方に頼りきりになってしまいがちです。

「うまくいけば全て良し」ではなくどれだけ主体性をもち、自らの意思でもってことに対応できているかがクラブ生活の最大の価値であり、そのことが関西学院のモットーである"Mastery for Service"の体現にも繋がると考えます。

 

運営だけでなく音楽も同様に極力学生の力だけで築き上げることを目標に活動しています。コンサートの選曲はもちろん、日々の基礎練習から合奏の仕上げまで、学生指揮者を中心とした学生音楽スタッフが練習メニューを組み上げていきます。

「学生の手で仕上げる最上の演奏」
これに誇りをもって取り組んでいきます。